第47回 日本アカデミー賞 優秀アニメ作品賞
「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」「BLUE GIANT」
受賞しましたっ!!
日頃の皆さんの応援のおかけで、
このような素晴らしい作品に出演させて頂きましたことを、
改めて感謝します。
...
第47回 日本アカデミー賞 優秀アニメ作品賞
「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」「BLUE GIANT」
受賞しましたっ!!
日頃の皆さんの応援のおかけで、
このような素晴らしい作品に出演させて頂きましたことを、
改めて感謝します。
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さてさて。いきなりなんですが、もう言っちゃおう。今日、告知されてましたぁぁぁ!!アプリ「けものフレンズ3」ステラーカイギュウの声を担当させていただきますっヽ(*´∀︎`*)ノこのコ!!うへへ( ∩︎´ω`*∩︎)とっても仲間思いで優しい、ステラーカイギュウちゃん。マーメイド戦士いちごう(Xで1号って書いちゃったけど、たぶんひらがな表記の方がよかったはず!ごめんね)な、ステラーカイギュウち続きをみる
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皆様こんばんは!今週の晴レルヤは晴レルヤジャンボの抽選をやりました!当選された方おめでとうございます!そしてご応募いただいた皆様もありがとうございました!またこうしてリスナーの皆様への感謝を届けられる機会を増やせるように頑張ります♪さて!いつのまにかゲスト告知もされていたー!!アイドリープライドのラジオでもご一緒させていただいたばかりの宮沢小春ちゃんが、2月13日放送の晴レルヤにもきてくれることになりました!3月に開催される「LAWSON prem続きをみる
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そういえば小田原は漁港があるのでとてもおいしいお魚がたくさん!おばあちゃんは小田原から家に来るときに時々おいしいお魚も持ってきてくれたある時すごい大きな立派な桜いろの鯛を持ってきてくれて。マリ子、おいで。新聞紙と鯛と包丁を持ってお庭に。その頃の宮代の実家はイチジクや柿やたくさんの果樹やお花があった。外の水道にざっと、新聞紙を広げおもむろにがっ!がっ!がっ!がっ!ってタイのウロコを研ぎ始めたうわっって子供の頃の私はちょっと引いた。それでも飛び散る鱗が綺麗だったおばあちゃんは、あっという間に鯛を開いて内臓をきれいにして鯛のお腹を洗ってたそして内臓や鱗をくるくると持ってきた新聞紙にそのまま包んで庭は何事もなかったように静かになった。子供の頃の私には衝撃的だったΣ(゚д゚lll)あっという間の出来事だったなアジの開き方もおばあちゃんに教わった気がするよイカのさばき方は父に教わった\(//∇//)続きをみる
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父も母も共働きだったので双祖父母には本当にお世話になって育った幼稚園の頃私の初めて作った フライパンを使ったお料理止めどなくお砂糖が入ったちょっと焦げた甘すぎる卵焼きを本当においしい本当においしいそう言いながら食べてくれた父方のおじいちゃん。茨城から自転車で千葉の関宿を抜けて杉戸堺線を走りよく宮代まで来てくれたちっちゃい頃からありえないほどの冷え性の私はよくおじいちゃんにくっついて寝てた母方の祖母はマリ子は食が細いからおばあちゃん、山に行って自然薯掘ってきたから食べなさいそう言って1人キッチンに呼び出され炊き立てのご飯を出してくれたその頃はまだ食べるのが大嫌いだったので私は、きっといつもおばあちゃんを失望させていただろう初めておばあちゃんに料理を教わるときはおばあちゃんの腰にくっついて。おばあちゃんはずっときんぴらを炒めていた。その時のきんぴらはたまたま、にんじんがなくてごぼうだけ。ただ、ひたすらリズミカルに小さな破裂音が響くお鍋おばあちゃんが菜箸で手を休めることなく強火で手早く炒めてたつやつやシャキシャキのきんぴらだきんぴらの作り方はおばあちゃんに教わったある時宮代に祖母が来てくれていた時にマリ子、よもぎ摘むよ。そう言われて連れていかれたのは近所の空き地だった気がするけど、今では場所も定かではない家がたくさん建っているから。2人で摘んできたよもぎわかめを選んで、千切り冷たい水で洗って下ごしらえしちっこかった私は足の間に、大きなすり鉢を置いてよもぎをすった。ゴリゴリゴリゴリ、ゴリゴリゴリゴリ。すぐ疲れちゃうちょっとしかできないなのに、おばあちゃんはなめらかになめらかに確実によもぎをペーストにしていくそこから、先はおばあちゃんが手際良くよもぎ団子にしてくれたお米からお餅にしたのかなあ記憶にあまりないんだけれどあの頃お餅は 炊くところから作ってた気がするこの時は白玉粉じゃなかったな白玉も好き。宮代にいたからお餅つきはしてないけど(父の実家に行った時は大勢でお餅つきしてた、遠縁親戚もみんな集まって)草餅の時はおばあちゃんの手作りのお餅だったと思うそれに、よもぎをサクサク混ぜていくの手早くサクサク。冷えると硬くなっちゃうから、時間との勝負だからその時は、私はただ見てるだけ。味は覚えてないんだけどよもぎの香りふわふわのお餅だったほんのりあったかかった気がするその頃の私は何で毎日お味噌汁を飲まなきゃいけないんだろうなんで毎日3回もご飯食べなきゃいけないんだろうなんでお菓子じゃダメなの?子供ながらに素朴にそう思っていたご飯が大好きになったのは中学校で部活を始めてからでご飯て、こんなおいしいものかと。ご飯の時間が楽しみになったのは、この頃からだその頃には祖母も、年齢を重ねて宮代には足を運ばなくなったお正月に母の田舎に帰省する、そんな感じのおばあちゃんとの関係。それでも、おばあちゃんは私の好き嫌いをなくそうと食べられなかったトマトやいろんなものを私には考えつかないような味付けで私に食べさせていたおば続きをみる
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わかってはいるのだけど災害やいろんなことが重なって日本中、世界中のみんなもそうだと思うけどご多分にもれず、私も心を 少し閉じ込めてしまったなんでこんな悲しいことが続くのかなきっと、個々、嬉しいこともいっぱいあるに違いない現に、私は事故もなく、無事にお仕事にいけたり家に帰宅できるとその奇跡に神様に感謝する運転するから最近は前にも増して怖い昨今、信号を守らなかったり(間に合わなかったのならわかるけど、わかっちゃだめだけどわかる、、、、)飛び出してきたり横断歩道を渡るのにも道を渡るにも1回止まって、左右見る人も少ないし(幼稚園で習わなかったのかな)この間なんか環七を普通にまん中のフェンス乗り越えて横断してる人いたわ:(;゙゚'ω゚'):スマホ片手にイヤホンしたまま自転車も歩行者でもそのまますごいスピードで道路に侵入してくる人もいるふわっとくるから避けた瞬間に、全身の毛穴からなにか出る避けたその先に何もいなかった奇跡がいつまで続くのかわからない自転車もキックスケーターみたいなやつも信号を守っている人を見ると、感動する位のレベルのモラルのなさよなんとなく周りがそうなっちゃってるから罪悪感とか、危険だとか言う感覚が麻痺してるのかな自分の命がかかってるのに相手の人生もかかってるのに。毎日ため息をつくだから、誰も傷つけずに何も起こらずにおうちに帰ってこられると奇跡だと思う帰宅途中の氏神様に神様、今日もありがとう無事に戻りましたって必ずお祈りするお礼を言う神社の前車で通り過ぎるだけなんだけど。(神様、ごめんなさい)ほんとに奇跡だと思ってるなんとなく、閉じこもりがちになってからは朝、いつもみたいに起きられないし次の季節に何してみたいとか、そんな希望も削がれてしまうようなそんな感じ眠いのに夜眠れないとかぜいたくな悩みだってわかってる父、母、姉弟にもいろいろあるけど(皆、それなりに年齢を重ねているからな)すごくぜいたくな悩みだってわかってるけどでも、願わくは穏やかな日々であってほしい戦争もなくなって地震だって大きいのが来るんじゃなくて小さな地震が何回も何回も何回も何回も来てそれで、エネルギーの均衡が保たれたらいいなぁとか馬鹿なことを考えてしまう寒い。今日は何もやりたくないと言えば仲間同士で被災地を思えば、これくらいなんともともない。頑張れる。そんな言葉が日常生活に出るようになったいま私にできる事は寄付ぐらいしかない極端に体に根性がないので、、、最近は心にもない気がするが。弱弱ちゃん_| ̄|○。。身体的に私が役に立つことがあるとは思えないなりわいがら何かできることがあるとすれば辛い心を和らげるとかふふって幸せになれる瞬間を届けるとか表現の分野でお役に立ちたいそれでもおいしいご飯の写真もおいしいケーキの写真も笑顔のゆいやちー。の写真もちょっと浮かれた記事も書いた後に投稿できずに消してしまうそれじゃ、本末転倒でだめなのに。これを投稿できないのは、私の心の弱さで甘ったれなのは自分だとわかっているけど続きをみる
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