昨年末に50歳を迎え、身内でささやかなお祝いをしました。で、その節目にはいろいろと思うところがありました。
19歳から20歳になるときもこんなに感慨深くありませんでした。
思えばこれまで社会的年齢で生きてきたような気がします。社会的年齢とは、社会的肩書きがイメージする年齢です。
例えば会社員として、課長はだいたい20代後半から30代後半。部長といえば40代後半から50代全般のイメージ。
それを自分の業界に当てはめていくと、課長は業界を辞めないと決意する、後戻りできない年齢。恐ろしいことに転職してもつぶしは利かないし、アルバイト先も年齢制限があったりします。業界的には後輩が確実に出来はじめる時期でもあります。さらに次の部長クラスになると最早、後進の指導まで担当しなければならない。
もちろんアニメーションと洋画の吹き替えのフィールドの年齢イメージ感の違いはあるとは思いますが、何にしても50歳なのです。
アニメーション世界ならもはやベテラン、洋画ならやっと中堅…。
だがそれより思うのは、自分の人生の砂時計の砂が、後どれだけ残っているかという事です。
役者として過ごした日々の不摂生が、どれだけ寿命を縮めて来たか解りませんが、50歳になって初めて思うことは、現役でいられるのは後20年だという事。そう言うと賛否両論あると思いますが、自分の肉体の叫びも考慮に入れると現実的な数字だと思っています。
後20年、そう考えた時、真っ先に思い浮かんだのが
『桜』
このブログを始めたころマンションに引っ越したばかりの私は、鉢植えで桜を育てることの将来への申し訳なさから桜を育てることを断念しました。
そして50歳を迎えた私は後20年、桜と共に生きていくことを選択しました。
もちろん、20年後きちんと自分の責任で桜の木をどうするのか決めることも含めて…。
この春 、小さな桜の苗木を手に入れました。
もうすぐ、細い細い、その枝にもソメイヨシノの花が咲くでしょう。そうだ、花見をしよう!今年を含めて後20回しか花見はできないのだから。
21回目からがあるとすればそれは神様からのご褒美なのです。
大好きな春に。