作画:8ストーリー:10音楽:9 fend - 2009/09/17
オタクのウザがられる会話の代表的なもので、「聞いてもないのにオタク話題を振りまく」といったものがあります。
相手はそんなことどうでもいいと思ってるのに、「俺は知ってるんだぜ〜」と知識をひけらかす人。
相手はそんなこと興味ないのに、「この作品が楽しいんだよ・凄いんだよ」と熱く語り出す人。
どちらも、される側としては困ったものでしょう。
知識という価値観で優越感を得たがられても、感性や価値観を共有することで承認を得たがられても、話を振られる側からすればどうでもいい……
いえ、どんな対応するにしろ、その分のコストがかかるので、むしろ億劫と言えるでしょう。
ついていけない話を振られれば、対話として成立しない。つまりは、相手の一人語りになる。
けれど一応会話の形式を保っている以上、自分が参加できない会話とはいえ、
相手を傷つけないために・また険悪にならないために、ある程度気を利かせて話に乗ったり相槌うったり、話を切る頃合を見計らわなくてはならない。
その「めんどくささ」「厄介さ」がウザがられるのでしょう。
さて、『らき☆すた』のこなたも、オタク話題をしたり、物事をオタクネタに例えたりして周りの人が付いていけない会話を
幾度か創出しているのですが、『ウザがられる』というほどの反応は得ていませんでした。
せいぜいが「困らせる」「疲れさせる」くらいで済むように、バランスを取っていました。どうやってか。
それは「説明をしないこと」――「同意を求めないこと」によってです。
■第2話
こなた「でも男子は歯医者とか好きそうだよね」
つかさ「なんで?」
こなた「だってドリルは男のロマンっていうじゃん」
こなた「ドリルを武器に戦うロボットのガチ勝負はたまんないらしいよ!」
つかさ「……えっと……でも、歯を削られるのは嫌だと思うけど」
■第5話
こなた「でもお祭りって、その場の雰囲気でついつい手を出しちゃうんだよね」
かがみ「まあねぇ」
こなた「コミケ会場で同人誌が高いと思わないのと同じ感覚だよね。あとで気付くとすごい出費」
かがみ(だから、そっち方面の話はわからないって!)
こなた「朝から並んでくたくたになるし、西館と東館すごく遠いし」
かがみ(言ってる意味がわからんわ!)
例として二つ。どちらも、こなたのオタク語りに対し聞き手は「わからない」状態になってます。
つかさは「?」状態だし、かがみにいたっては心の中でツッコミ入れています。
でも、それに対し、こなたは説明を入れません。
言うだけ言って後は終わり、「つまりこれはこういう意味で……」みたいな追加は無し。
相手がわかっていようがわかっていまいが関係ない、言いたいことを言うだけで、「そうだよね」という同意や、
「そうなんだ」「上手いこと言う」といった優越を求めていないのです。
パパッと5秒10秒、言いたいこと云うだけ謂って終わりです。相手の反応は気にしない。
その「相手に求めないこと」「自分からさっさと終わらせること」が、このような話をしてもウザがられない秘訣なのでしょう。
極端に考えると、「反応を求めていない」とも言えます。オタク語りに対する相手の反応を全く気にしない・見ない。
クエスチョンマークだろうがツッコミだろうが、相手がどんな反応しても、こなたはいつも、(この例に挙げた以外も殆どの場合)
「言いたい分言ったら」終わり。同意も何も求めないのです。
「相手の反応を見ない・反応を求めない」。
これは話し手(オタク語りする方)側の立場で考えれば、こなたのように、遣い方と相手さえ誤らなければ、
「オタク語り」の欲求をインスタントに・応急的に処理できる方法ではないかと考えられます。
こういった「相手の興味がないことが明白なことを一人で語る」という会話は、その元となるのが虚栄心や承認欲求だったりする以上、
それが満たされる可能性 ――「反応」の存在を有耶無耶にしてしまえば、必要以上に食い下がってウザがられることもなく、
ただその欲求だけを処理できるのではないでしょうか。
優越や承認を「見てないからわからない」=「あったかもしれないこと」にする、あるいは「相手の反応を求めない」ことにより
優越や承認自体を「求めていないこと」に変化させられる。
相手が「?」な顔をしてたり食い付きが悪かったりと反応がイマイチなら、さらに説明や説得を試みて、
よりイマイチな反応になり、最終的にウザがられる。いかにもよくある、ドツボなパターンですが、そういったことも防げます。
そもそも説明や説得そのものが相手の反応をイマイチにしているのですから(それを積み重ねるとドツボに)、
そこを最小限に抑えれば、被害は最小限に抑えられる。
そもそもそんなオタク語りしなければ済む話ですが、どうしてもしたい場合は、このこなたを見習い、5秒10秒の「反応無視語り」で、
ウザがられないかつある程度の欲求処理が可能なのではないでしょうか。
たまにスイッチが入ったように語りだす人なんだなと思われるかもしれませんけど。
このように『らき☆すた』を観ていると、主に会話で表現される登場人物たちの関係性、それが意外にも
彼女たちのコミュニケーション能力(無自覚的なものを含め)により保たれているんでしょうね。