作画:7ストーリー:7音楽:8 ペル - 2010/06/21
OPアニメにある登場人物のカットに象徴的なように、この作品の内外には様々な差別や偏見が渦巻いています。
明確な所では主人公のニアからして規格外の賎民扱いを受け、差別する側に少し様子の良い宇宙人を置いているし、
判りづらい所では、もう一人の主人公、くよくよしてどす黒い叫び声を上げさせられる立場のまゆ子が岐阜県育ちという設定である(相州出身者がその昔書いた『人国記』に始まる「県民性」に関する本では一貫して、岐阜県民についてかなり貶めて書いてある)し、
この作品が「ダウナー」というレッテルで流通している事自体、メディアによる偏見を利用しています。
それら偏見や差別が当事者たちだけでは解決されるわけも無く、
何を考えているのか判らない宇宙人たち人間たちと、常識的に働く宇宙人たち人間たちがドタバタやらかして、「どうにもならないから、どうにかやれそうだぜ」(OP歌詞)な日常をまゆ子流に「ま、いっか」とやり過ごしています。
差別や偏見を逆手に取って居場所を確保しているようで、実は周囲からの差別を助長している側面も窺え、風刺がよく利いてて好感が持てます。
…ですが、やはり偏見だけで貶められる側に立ち続けるのは無駄にストレスばかり多いですから。
東京の片田舎にある銭湯を舞台に、情緒ある町の風景も、そこに息づく方々も気っ風良く描けています。
後半は「灰羽連盟」にも見られる喪失感と記憶再生の物語。
ただ、ギャグテイストな作品なのでそれに相応しい締めですし、何故作者がこのテーマにこだわっているのかは、この作品の方がダイナミックに読み取れます。
OPもEDも挿入歌も、味わい良い部分しか見当たりません。だのに印象が薄いのは何故なのでしょう。
菅野よう子さんが今世紀に入って作風を変えてきたのも、こういう反省が有ったからかも知れません。
漫画版は舞台や主要な部分だけを共有していて、アニメを観た方々も充分に楽しめますよ。