投稿者: ドラゴンボールマニア - 投稿日: 01月18日
本編で超サイヤ人の数が増えすぎたことに対して作られた伝説の超サイヤ人ブロリーが本編の枠に入らない作品で出るなんてダメでしょう。
投稿者: ドラゴンボールマニア - 投稿日: 01月18日
本編との矛盾が少ない理想的な作品ではないでしょうか?ボージャックの極悪非道な行動も悪役として文句なしのオーラを放っていると思いますし,それを倒す悟飯もかっこいいオーラが感じられますしね。
投稿者: ドラゴンボールマニア - 投稿日: 01月18日
本編とこんなに大きく矛盾する作品はいりません。ややこしくなります。それに本編を無視したとしても,これは酷いです。フリーザがザンギャやボージャックを率いています。ボージャックはもちろんのこと,ザンギャですらフリーザ以上ですしかし立場はフリーザの方が上なのでしょうか?それともフリーザはあの後修行して強くなったのでしょうか?無理ですよ。肉体が無いのですから。ベジータの発言と矛盾しますフリーザを一撃で倒したのはアルティメット悟飯でしょうか?さすがにノーマルではフリーザを一撃で倒すなんて不可能ですよね。ということは魔人ブウは悟飯が倒したのですねこの世界では…。魔人ブウが死んだからベジータは地獄に落とされたのですね。でもそれならブウの魂も地獄にいますよね。現れませんね。おかしいですよね………もう無茶苦茶ですこの映画。
投稿者: ドラゴンボールマニア - 投稿日: 01月18日
この話の優れているところは敵キャラだと思います。ピッコロやベジータと言った敵キャラが仲間になっていく過程には感動させられます。(悟飯をかばってピッコロが死ぬシーンや死を覚悟したベジータがトランクスを抱く場面など)その一方で最後まで敵であったキャラクターはピッコロ達とは違った魅力を発しています。特にフリーザ,セルは上品な悪役の元祖ともいうべき存在であり,その上品さがかえって行動の残酷さを際立たてせ,視聴者に恐怖を与えるという力をいかんなく発揮しています。いうなれば彼らは倒されることによって主人公達に光を与えるのです。さらに声優の方々の演技力もそれに拍車をかけています。こうしてこの作品は世界のアニメの中でも指折りのものに仕上がったのだと思います。
投稿者: モノマニア - 投稿日: 01月18日
好きな人が好きでいることは自由だしいいのですが,これが理由でドラゴンボールは嫌いという人はこの作品は無視するべきだし,無視していいと思います。原作ドラゴンボールの続きは読者が勝手に予想してもいいと漫画版の最終話には書いてありますから,我々で勝手に想像してもいいのです。GTだけがドラゴンボールZの続編ではないのです。
投稿者: サんド - 投稿日: 01月18日
見た目はこども向けだけど内容は以外としっかりしてましたね。
でも今見ると今どきミニ四駆はないわと思いますねさすがに。でも昔は好きでした
投稿者: モノマニア - 投稿日: 01月17日
主人公達は最初から最後まであまり変わっていない。ですから注目すべきはむしろ大神親娘とネロの三人だと思います。大神親娘のバトルレースへの気持ちの変化。特に大神博士は無印時代の敵の親玉だった男であり,この男が改心したことによってレッツ&ゴーは本当の終焉を迎えることが出来たのでしょう。そのきっかけが娘のひたむきに走る姿だったというのは何とも感動的ではないでしょうか?
投稿者: モノマニア - 投稿日: 01月17日
豪とカルロ,烈とミハエル,カイとレイの対比関係をまず作り,それから物語を見ると内容の深みが増すと思います。しかしキャラの身長差が気になりましたね。個人差の激しい年頃だからでしょうか?
投稿者: モノマニア - 投稿日: 01月17日
ミニ四駆のアニメなのですが,一つの青春ものとして捉えることが出来るでしょう。主人公達がミニ四駆を通して友情を育んだり,またミニ四駆(主に勝利)に対する意見を対立させたりしていくうちに成長していく物語であると言えるのではないでしょうか。